Midoriya Vin Nature
Column
ランガラン「ケトン」の会@ラ・ポルト・ルージュ
ワインのこと

ランガラン「ケトン」の会@ラ・ポルト・ルージュ

私は1976年から1982年までボルドーに滞在して、ボルドー大学でもワインの勉強をしてきました。
私の頭の中は、ボルドーワインがすべてでした。

ラングドックなんかに、ボルドーに比較されるワインなんて存在するはずもない、と思っていました。

ところが、あの時、ランガランの89年、90年をテースティングして、その濃縮感、果実味、樽熟からくる香ばしい樽香、熟した葡萄を仕込んだワインしか存在しない深味に、心の深いところに染みわたる感動でした。

(90年代は濃縮されて、樽がキッチリのったワインが、最高級ワインだった時代)

これこそが私が探し求めてきたワインだ!
価格を聞いて、また驚いた!
当時のボルドーでここまでの品質のレベルのワインの価格を想像していた私には、エっ、嘘だろう!
私が想像していた価格の10%ほどの価格だったのです。

ホントに驚愕だった。

フランシーヌのお父さんは、ボルドー・メドックのグラン・クリュ・クラッセ第3級の名門シャトー・パルメーの経営者の1人だった。

フランシーヌ・グリルさんがまだ幼いころにお父さんはシャトーを手放さなければならない状況になってしまいました。
その頃は、フランシーヌも幼かったので、あまりワインを意識したことはなかったのでした。

そして、大人になり、フランシ-ヌは有能なる実業家と結婚、ワインとは全く縁のない生活をしていたのである。
フランシ-ヌが27歳の時である。

造船関連会社の経営をやっていたご主人のベルトランさんは南フランスが主要な働き場所だった。
ベルトラン・ファミリーがこのシャト-ランガランを所有していたのでる。

フランシーヌは以前からファミリ-が南フランスにシャトーを所有している事を聞かされていた。
でもそのシャトーに葡萄園があることを知らされていなっかったので、何の興味も沸かなかった。

ある時、フランシ-ヌがご主人ベルトランと一緒に南仏に滞在している時、このシャトーランガランを見学に行ったのである。

フランシ-ヌがぶどう園に囲まれたシャト-・ランガランに入った時である。
足元からエネルギーのような電流のようなものが、体全身にはい上がってきて体中が熱くなってくるのを覚えた。

建物と庭園は荒れはてていて決して現在のように美しいシャト-ではなかったが、ぶどう園を見た瞬間に何とも説明しがたいメラメラと燃え上がるエネルギーのようなもの感じたのである。

そう幼い頃にシャトーパルメールに携わっていたお父さんと、葡萄園のほとりで遊んでいたころの記憶が蘇ってきたのかもしれない。

その瞬間に、フランシーヌはある決意をした。
父が情熱を捧げたワイン造りのパッションを、父のパッションを継いで、ここ南フランスで復活させることである。

何故こんな事になったのかよく自分にも分からなかった、と彼女は云う。

名門シャトーパルメ時代の父の夢とファミリーのパッションがぶどう園を見た瞬間にフランシ-ヌの少女時代に育まれていた魂がよみがえったのだろう。

ボルドーにも負けない一流の醸造元にするまで頑張る決意をしたのである。

やっぱり気合の入っている一本“ケトン”は、樽ものっていてボルドー正統派ワイン好みのお客さんに喜ばれる一本です。4年も熟成して濃縮したタンニンも溶けだして旨味タップリ、文句なしで美味しいですよね!

伊藤與志男 氏 LINEより抜粋

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